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カポエィラ​とは?

ダンス? 格闘技? 民族楽器や歌も歌われる!?

一体なんなのかは実際に見て体験してみないと

​なかなか分からないものです。

カポエィラは先生やグループから学び、

日々練習したり、たくさん触れることで

少しずつ理解していくものなのです。

音楽に合わせて基本のリズムとステップを踏み、​相手と動きを合わせて行います。

カポエィラとは?

ダンス、音楽、文化、格闘技、武術?

 カポエィラとはブラジルに奴隷として連れて来られたアフリカの人々が生み出した伝統芸能です。

円(ホーダ)になって、民族楽器で奏でる音楽と歌、そして円の中心で行われる二人の踊り手がコミュニケーションを取りながら、遊び・掛け合いをし、それをみんなで楽しみます。カポエィラのホーダ(演舞)はユネスコの無形文化財にも登録されるなど、世界的に価値を見出されたカポエィラは、ブラジル国内だけでなく、世界中で多くの人々に親しまれています。 

昔のホーダの様子

現代のホーダの様子

カポエィラ アンゴーラとは?

伝統的流派、スタイル、思想?

 「アンゴーラ」はいくつかあるカポエィラ流派のなかで、昔のカポエィラを継承しようとする一種の流派です。昔から行われていたカポエィラが時代の流れとともに大きく変化し始めたときに、1940年代にメストレ パスチーニャによって「カポエィラ・アンゴーラ」と形付けられました。以来、アフロブラジル文化を形成するひとつの貴重な文化として途絶えることがないよう、この流派が守られてきました。伝統芸能は師範から弟子へと口承文化によって教えが受け継がれていきます。

 メストレ パスチーニャの伝えるカポエィラアンゴーラの大きな特徴は、その思想にあるところです。

​思いやり、非暴力性、愛、そして人生そのものを考えるカポエィラを唱え、過去からくる偉大な教えと未来へのカポエィラを学ぶ人たちを繋げたのでした。

 特に私たちがパスチーニャ師の教えの中で受け継ぐ思想は、口承文化、コミュニティー性、遊び心のあるジョゴ(カポエィラの遊び)、精神性と祖先性です。これらの要素は全て自己の成長と変化に繋がる意味をもたせてくれます。私たちの行う儀礼・ホーダ(演舞)ではそれらが全て現され、全ての人が参加をし、不可欠かつ個々がユニークな存在であることを認め合う場を作ります。

​メストレ パスチーニャ / Mestre Pastinha(1889年4月5日〜1981年11月13日)

メストレ パスチーニャはカポエィラアンゴーラを形成した人物の中でもっともアイコニックな人物として知られる師範の一人です。

1889年4月5日、父はスペインの商人José Pastinhaと母はアフリカ系黒人のRaimunda dos Santosの息子、Vicente Ferreira Pastinha(ヴィセンチ フェヘイラ パスチーニャ)は生まれました。奴隷制度の廃止後のブラジル、バイーア州のサルバドールの貧困な街で、他の同じような状況の大多数の子供たちとともに、学校教育をまともに受けることができずに彼は育ちます。12歳から20歳まで海軍に入隊し、カポエィラアンゴーラの師範の他には絵描き、ミュージシャン、肉体労働、靴磨き、新聞配達といった職業に就きました。

 

彼が幼い頃、数少ない学校にいく機会に、いつもの通り道に Honorato オンラートという男の子がいて、いつも暴力を振るってきました。その状況を眺めていた元奴隷の年寄りのアフリカ人 Benedito(ベネジート)は幼いパスチーニャを呼び、最初のカポエィラの教えを行うことにしました。「自分より体の大きい子には勝てない、お前にカポエィラを教えてやろう。」そうしてパスチーニャはカポエィラを教え込まれ、後にいじめっ子に立ち向かい、彼をやっつけたという有名なお話があります。

 

その時代、カポエィラは未だ禁止され、その後にはカポエィラヘジォナウの存在によって変わっていくカポエィラでしたが、パスチーニャはその時代に残っていた老師の代表的な存在として、カポエィラアンゴーラを確立し、後世に残しました。 彼の行ったとても大事な業績は、時代と社会にある暴力性をカポエィラから引き離し、それを動き、言葉や思想、哲学としてカポエィラアンゴーラに残したことです。 それを後世に残し、理解し続けるために弟子を育て、書物や絵、音楽として残しました。

 

1941年にサルバドールのペロリーニョにカポエィラアンゴーラの学校(Centro Esportivo de Capoeira Angola)を設立しました。そのユニフォームは、当時の自分の応援するサッカーチーム Ypiranga イピランガと同じ色、黄色と黒にしたのはあまりにも有名な話。 メストレ パスチーニャの直弟子で最も有名な二人がいます。Mestre João Pequeno(メストレ ジョアオン ペケーノ/故 2011年)とMestre João Grande(メストレ ジョアオン グランジ/現 NY在住)です。 私たちインジンガのメストレたちは、GCAPの元でメストレ モライス、メストレ コブラマンサ、そしてメストレ ジョアオン グランジの三師範からカポエィラアンゴーラを学びました。現在もその代表的な教え、思想、哲学としてメストレ パスチーニャの系列と伝統を守り、継承をしています。

カポエィラ アンゴーラの歴史

 カポエィラの歴史を考えるとき、奴隷貿易との関係は切り離すことができません。世界の砂糖生産に合わせ、ポルトガル人によってブラジルを領土として新しい国づくりと生産力が求められました。16〜19世紀後半まで奴隷として連れて来られたアフリカの人々は、過酷な労働と、残酷な人生を強いられます。

平均寿命の短かった奴隷とされたアフリカ人は、使い捨てのように次から次へと新しい土地へと運ばれて行くのでした。何世紀にも渡りアフリカの影響を色濃く受け継ぐブラジルの文化と国民性はその歴史からきます。ブラジルの新しい土地で様々な部族との混ざり合いによりそれが形を変え、奴隷制、植民地支配からの自由を勝ち取る術としてカポエィラの魂は受け継がれていくのです。

 

 1888年、ブラジルでは奴隷制が廃止されますが、1890年よりカポエィラは法律により禁止され、公の場で行うことは許されませんでした。それは、アフリカ系黒人の行う全ての踊り、音楽、宗教を禁ずるものでした。ようやく1930年代になり、メストレ ビンバによってバイーア地域の格闘技(ルタ ヘジォナウ バイアーナ)が作られることで、カポエィラは形を変えて一般のブラジル人(富裕層、白人社会)に伝わります。現在のカポエィラヘジォナウのスタイルの起源です。やがてブラジルの文化的民族舞踊として知られるようになり、スポーツ、格闘技として訓練されるものへと変化を遂げて行きます。定型化されたカポエィラは、白人層、富裕層にも理解され、より大勢に練習されるものとして広まります。大都市のサンパウロやリオデジャネイロでも50〜70年代に広まります。その時代のなかで形を変え、広まっていくカポエィラと区別するべく、それ以前のカポエィラ、特にバイーアで行われていたカポエィラをアンゴーラと呼びました。歴史上、数多く残る素晴らしいカポエィリスタはいますが、そのカポエィラアンゴーラを守る運動を代表した人物としてメストレパスチーニャがいます。彼はいまなおカポエィラアンゴーラの父として、その哲学、思想、あり方を説いた人物として受け継がれています。私たちのグループインジンガは、メストレパスチーニャの教えを継承するグループとして活動を続けています。

 1980年代、カポエィラヘジォナウを主流としてカポエィラが行われるなか、年老いた師範、カポエィラ使いや知識人たちの価値が一般的に薄れていきました。そのなか、メストレモライスによってグループGCAP(Grupo de Capoeria Angola Pelourinho)が設立され、カポエィラアンゴーラの価値観が見直される運動、アフリカ性アイデンティティの強調性を求める運動がおきます。メストレパスチーニャの直系の弟子の二人、メストレジョアォングランジとメストレジョアォンペケーノのうち、GCAPは当時道場を持たなかったメストレジョアォンペケーノを呼び戻し、一緒に活動をするメストレコブラマンサと共に、古いメストレ達に再度活躍の場と価値を与え、伝承の場を設けました。

 1980年~1995年あたりがGCAPによるバイーア州サルバドール市のカポエィラアンゴーラの黄金時代となります。そこで初期メンバーとして学び、活躍したのが当グループの師範達、メストラジャンジャ、メストラパウリーニャ、メストレポロッカです。後にこの3師範により1995年にグループインジンガ(Grupo Nzinga de Capoeira Angola)がサンパウロで設立されます。

 1990年代にはヨーロッパ諸国、アメリカ合衆国の大都市でカポエィラが伝えられて広まるなか、メストレコブラマンサを主軸に国際カポエィラアンゴーラ連盟と称されるグループ FICA(Fundação Iternacional de Capoeira Angola)が設立され、世界にカポエィラアンゴーラを広める大きな活動を行います。

 日本では1990年代後半、2000年初頭よりカポエィラアンゴーラの歴史は始まり、現在に至ります。今日では、数々のグループとその指導者が存在し、活動を続けています。

 近年ではたくさんのメストレやメストラが来日するほど活動がたくさん行われるようになり、そのほとんどは個人的(グループ内)の資本によって運営され、師範の来日などのイベントを支援しています。​