
ABOUT CAPOEIRA
Capoeria Angola is the name given to the practice of an Afro-Brazilian martial art that seeks to preserve its African philosophical foundations through dance, music, fight, playfulness, and spirituality.
In a Capoeira roda, everyone participates and each person is unique. In each game, there is a ‘staging’ of a fight that transforms powerful kicks into playfulness. Nzinga rodas are characterized by an ethic of nonviolence and a culture of peace.
Capoeira is a process of developing knowledge of self that isn’t limited to physical activity. Capoeiristas seek self-awareness through collective experiences, debate, and reflections that are as important to the formation of a Capoeirista as trainings and games.
As a symbol of the struggle for black liberation in Brazil and the ongoing fight for equality, Capoeira Angola is also used as a tool for education, building self-esteem, and social inclusion of children and youth.
Source:
Grupo Nzinga de Capoeira Angola: http://nzinga.org.br/
Nzinga Atlanta: https://gruponzingaatlanta.wixsite.com


Capoeira Angola in the 50s
Capoeria Angola is the name given to the practice of an Afro-Brazilian martial art that seeks to preserve its African philosophical foundations through dance, music, fight, playfulness, and spirituality.
In a Capoeira roda, everyone participates and each person is unique. In each game, there is a ‘staging’ of a fight that transforms powerful kicks into playfulness. Nzinga rodas are characterized by an ethic of nonviolence and a culture of peace.
Capoeira is a process of developing knowledge of self that isn’t limited to physical activity. Capoeiristas seek self-awareness through collective experiences, debate, and reflections that are as important to the formation of a Capoeirista as trainings and games.
As a symbol of the struggle for black liberation in Brazil and the ongoing fight for equality, Capoeira Angola is also used as a tool for education, building self-esteem, and social inclusion of children and youth.
Source:
Grupo Nzinga de Capoeira Angola: http://nzinga.org.br/
Nzinga Atlanta: https://gruponzingaatlanta.wixsite.com
ABOUT CAPOEIRA ANGOLA
「アンゴーラ(アンゴラ)」はいくつかあるカポエィラの流派のなかでも、アフリカ性や伝統と祖先性を継承し、その表現を守る流派です。昔から行われていたカポエィラが、時代の流れとともに大きく変化し始めたとき、1940年代にメストレ パスチーニャによって「カポエィラ・アンゴーラ」として形作られました。以降、アフロブラジル文化を形成するひとつの貴重な文化として途絶えることがないよう、師範から弟子へと口承文化によって教えが受け継がれていきました。
メストレ パスチーニャの伝えるカポエィラ・アンゴーラの大きな特徴は、音楽や動きだけでなく、その思想・哲学といえます。カポエィラを人生そのものとして唱え、言葉や文章、絵にして残し、後世に残すことができた人物でした。そこには、過去からの叡智、非暴力性、危険回避、思いやりや愛までもを比喩的に表現できる偉大な教えとして現在まで受け継がれます。
私たちがメストレ パスチーニャの教えで特に大切にすることは、精神性と祖先性といえるでしょう。口承文化であるカポエィラを学ぶ上で、欠かせないのは教えてもらう人(師範)との時間。その中で、カポエィラの教え、感覚が伝えられていくのです。そして、カポエィラ・アンゴーラに欠かせないその他の要素は、コミュニティー性、相手への尊敬の心です。これらの要素は時間をかけて練習していく中で、自己への理解と成長、変化へと繋がります。私たちの行うホーダ(演舞・儀礼)では、これらの要素を大事にし、参加をするすべての人々が不可欠かつユニークな存在であることを認め合い、喜びをもって表現しています。
ABOUT CAPOEIRA ANGOLA
Mestre Pastinha (1889.April.5 - 1981.Nov.13)
メストレ パスチーニャはカポエィラ・アンゴーラを形成した人々の中でもっともアイコニックな人物として知られる師範です。
1889年4月5日、ヴィセンチ・フェヘイラ・パスチーニャ(Vicente Ferreira Pastinha)は父はスペインの商人ジョゼ・パスチーニャ(José Pastinha)と母はアフリカ系黒人のハイムンダ・ドス・サントス(Raimunda dos Santos)の息子として生まれました。奴隷制度の廃止(1888年)後のブラジル、バイーア州のサルバドール市の貧困な街で、他の同じような状況の大多数の子供たちとともに、学校教育をまともに受けることができずに彼は育ちます。12歳から20歳まで海軍に入隊し、カポエィラ・アンゴーラの師範の他には、絵描き、ミュージシャン、大工、靴磨き、新聞配達といった職業に就きました。
彼が幼い頃、学校にいく数少ない機会のなか、いつもの通学途中にオンラート(Honorato)という少年が、度々暴力を振るってきました。その状況を眺めていた元奴隷の年寄りのアフリカ人ベネジート(Benedito)は幼いパスチーニャに呼びかけ、最初のカポエィラの教えを行うことにしました。
「自分より体の大きい者には勝てない、お前にカポエィラを教えてやろう。」
そうしてパスチーニャはカポエィラを教え込まれ、後にいじめっ子に立ち向かい、やっつけたという有名な話が残されています。
カポエィラが未だに抑圧され、後々にはカポエィラ・ヘジォナウ流派の存在によって進化していくカポエィラですが、パスチーニャはその時代に残っていた老師の代表的な存在として、カポエィラ・アンゴーラを形作り、それを後世に残しました。 彼の行ったとても大事な業績は、時代と社会にある暴力性をカポエィラから引き離し、それを言葉や動き方、思想や哲学としてカポエィラ・アンゴーラの基本的な要素として残したことです。 その時代に弟子を育て、書物や絵、音楽を後世に残しました。
メストレ パスチーニャの直弟子で最も有名な二人がいます。
メストレ ジョアォン・ペケーノ(Mestre João Pequeno : 1917年12月27日 – 2011年12月9日)、メストレ ジョアォン・グランジ(Mestre João Grande : 1933年1月15日)(現在米国ニューヨーク在住)です。
私たちのグループ インジンガのメストレたちは、GCAPの元でメストレ モライス、メストレ コブラマンサ、そしてメストレ ジョアオン・グランジの三師範からカポエィラ・アンゴーラを学びました。現在もその代表的な教え、思想、哲学としてメストレ パスチーニャの系列と伝統を守り、継承をしています。
1941年にサルバドール市の地区、ペロリーニョに最初のカポエィラ・アンゴーラの学校(Centro Esportivo de Capoeira Angola:CECA)を設立。当時応援していた現地のサッカーチーム:イピランガ(Ypiranga)のチームカラー、黒と黄色をカポエィラ・アンゴーラのユニフォームの色にしたのは有名な話。学校は価値のある文化として評価され、当時の詩人や音楽家や芸術家(ジョルジ・アマード、マリオ・クラーヴォ、カリベ)などがよく足を運んだ。カエターノ・ヴェローゾによる1972年のアルバム:Transaの中でも彼のことが歌われている。
1965年、本「カポエィラ・アンゴーラ」を出版し、その中ではスポーツマンシップのある自然体な在り方を推奨し、非暴力的な性質を擁護しました。彼は、カポエィラを非暴力であり、一種の芸術へと変化させることができた。
1966年、セネガルで開催された第一回世界黒人芸術祭にブラジル代表団として渡航し、当時のイベントのハイライトとして取り上げられる。
1973年、彼の学校CECAのある建物を市に回収され、その後は残念ながら活動を再開することはなかった。
1981年、盲目となったパスチーニャは妻に介護されながら貧困の中で息を引き取った。
メストレ パスチーニャの言葉
"Angola, capoeira, mãe"
「アンゴーラ、カポエィラ、母。」
"Mandinga de escravo em ânsia de liberdade, seu princípio não tem método e seu fim é inconcebível ao mais sábio capoeirista."
「自由を渇望する奴隷のマンジンガ。その始まりに順序はなく、終わりは最も賢明なカポエィリスタでさえ想像することができない」
"A Capoeira é mandinga, é manha, é malícia. Capoeira é tudo que a boca come"
「カポエィラはマンジンガ、術、ずる賢さ。口にするすべてがカポエィラである」
"O berimbau é a alma da capoeira"
「ビリンバウはカポエィラの魂である」
"Ninguém joga igual a mim, cada um joga do seu jeito".
「誰も私と同じようなジョゴをしない(動きをしない)、各々がそれぞれの方法でジョゴをするのだ(動くのだ)」
"...capoeira é muito mais que uma luta, capoeira é ritmo, é música, é malandragem, é poesia, é um jogo, é religião..."
「カポエィラは闘い以上のものである。カポエィラはリズム、音楽、マランドラージェン、詩、ジョゴ、宗教である」
"Capoeirista não é aquele que sabe movimentar o corpo, e sim aquele que se deixa movimentar pela alma"
「カポエィリスタとは身体を動かすことを知っている者ではなく、魂によって動かされる者である」
"Capoeira só é a Capoeira quando não se rótula..."
「カポエィラとは、型にはまらない時のみカポエィラとなりえる」
"Quando dois camaradas estão se exibindo na roda, é uma demonstração, sem rivalidade, pois
o público não quer ver sangue, e sim evoluções; o capoeira deve ser calmo, tranquilo e calculista"
「二人の仲間がホーダの中で互いに表現し合うとき、それは実演である。ライバルの関係ではなく、聴衆は決して血しぶきを見たいわけでもなく、進化する様を見たいのである。カポエィラとは穏やかで、落ち着いていて、計算されている必要があります」
"Preciso ter calma no jogo, ou seja, quando mais calma melhor para o capoeirista"
「ジョゴには穏やかさが必要である。より落ち着いている方が、より良いカポエィリスタだ」
BRIEF HISTORY OF CAPOEIRA ANGOLA
カポエィラにはいたるところに歴史が存在します。ポルトガル人によるアフリカからブラジルへの奴隷貿易を切り離すことができません。世界の砂糖生産に合わせ、ブラジルを領土として新しい国づくりと生産力が求められました。16〜19世紀後半まで奴隷として連れてこられた推測で1000万人ものアフリカの人々は、過酷な労働と、残酷な人生を強いられます。
平均寿命の短かった奴隷とされたアフリカ人は、使い捨てのように次から次へと新しい土地へと運ばれて、使われました。何世紀にも渡りアフリカの影響を色濃く受け継ぐブラジルの文化と国民性はその歴史からきます。ブラジルの新しい土地で様々な部族との混ざり合いによりそれが形を変え、奴隷制、植民地支配からの自由を勝ち取る術としてカポエィラの魂は受け継がれていくのです。

Mestre Pastinha (1889.April.5 - 1981.Nov.13)

Mestre Pastinha (1889.April.5 - 1981.Nov.13)
1888年、ブラジルでは奴隷制が廃止されますが、1890年よりカポエィラは法律により禁止され、公の場で行うことは許されませんでした。それは、アフリカ系黒人の行う全ての踊り、音楽、宗教を禁ずるものでした。ようやく1930年代になり、メストレ ビンバによってバイーア地域の格闘技(ルタ ヘジォナウ バイアーナ)が作られることで、カポエィラは形を変えて一般のブラジル人(富裕層、白人社会)に伝わります。現在のカポエィラヘジォナウのスタイルの起源です。1937年にようやくカポエィラが禁止ではなくなり、やがてブラジルの文化的民族舞踊として知られ、スポーツ、格闘技として訓練されるものへと変化を遂げて行きます。定型化されたカポエィラは、白人層、富裕層にも理解され、より大勢に練習されるものとして広まります。大都市のサンパウロやリオデジャネイロでも50〜70年代に広まります。その時代のなかで形を変え、広まっていくカポエィラと区別するべく、それ以前のカポエィラ、特にバイーアで行われていたカポエィラをアンゴーラと呼びました。歴史上、数多く残る素晴らしいカポエィリスタはいますが、そのカポエィラアンゴーラを守る運動を代表したアイコニックな人物としてメストレパスチーニャがいます。彼はいまなおカポエィラアンゴーラの父として、その哲学、思想、あり方を説いた人物として知られ、教えが受け継がれています。私たちのグループインジンガは、メストレパスチーニャの教えを継承する「パスチーニャ系のカポエィラアンゴーラのグループ」として活動を続けています。この他にもカポエィラアンゴーラの系列や師範が存在し、それぞれ弟子へと受け継がれています。

Mestre Pastinha (1889.April.5 - 1981.Nov.13)
カポエィラ・アンゴーラの形成
1980年代、すでにカポエィラ・ヘジォナウの影響を主流としてカポエィラが行われるなか、年老いた師範、カポエィラ使いや知識人たちの価値が一般的に薄れていきました。そのなか、メストレ モライスによってグループGCAP(Grupo de Capoeria Angola Pelourinho)が設立され、カポエィラ・アンゴーラの価値観が見直される運動、アフリカ性アイデンティティの強調性を求める運動がおきます。メストレ パスチーニャの直系の弟子の二人、メストレ ジョアォン・グランジとメストレ ジョアォン・ペケーノのうち、GCAPは当時道場を持たなかったメストレ ジョアォン・グランジを呼び戻し、一緒に活動をするメストレ コブラマンサと共に、古いメストレ達に再度活躍の場と価値を与え、伝承の場を設けました。
1980年〜1995年あたりがGCAPによるバイーア州サルバドール市のカポエィラ・アンゴーラの黄金時代といえるでしょう。そのなかで、初期メンバーとして学び活動する当グループの師範達、メストラ ジャンジャ、メストラ パウリーニャ、メストレ ポロッカです。後にこの3師範により1995年にグループ インジンガ(Grupo Nzinga de Capoeira Angola)がサンパウロで設立されます。
1990年代にはヨーロッパ諸国、アメリカ合衆国の大都市でカポエィラが伝えられて広まるなか、メストレ コブラマンサを主軸に国際カポエィラ・アンゴーラ連盟と称されるグループ FICA(Fundação Iternacional de Capoeira Angola)が設立され、世界中にカポエィラ・アンゴーラを広める大きな役割を担います。
日本ではおよそ1990年代後半、2000年初頭よりカポエィラ・アンゴーラが練習され始め、指導者やグループが形成され始め、現在に至ります。今日では、数々のグループとその指導者が存在し、活動を続けています。近年ではブラジルを始め、他国からメストレ達が招聘され来日することは珍しくなく、そのほとんどのイベントは個人的もしくはグループの資金によって開催され、普及活動や学びの場が設けられています。
ABOUT CAPOEIRA
Capoeria Angola is the name given to the practice of an Afro-Brazilian martial art that seeks to preserve its African philosophical foundations through dance, music, fight, playfulness, and spirituality.
In a Capoeira roda, everyone participates and each person is unique. In each game, there is a ‘staging’ of a fight that transforms powerful kicks into playfulness. Nzinga rodas are characterized by an ethic of nonviolence and a culture of peace.
Capoeira is a process of developing knowledge of self that isn’t limited to physical activity. Capoeiristas seek self-awareness through collective experiences, debate, and reflections that are as important to the formation of a Capoeirista as trainings and games.
As a symbol of the struggle for black liberation in Brazil and the ongoing fight for equality, Capoeira Angola is also used as a tool for education, building self-esteem, and social inclusion of children and youth.
Source:
Grupo Nzinga de Capoeira Angola: http://nzinga.org.br/
Nzinga Atlanta: https://gruponzingaatlanta.wixsite.com
【ビリンバウ:Berimbau】
アフリカ由来の弓状の楽器。木の棒に針金を張って弦にし、くり抜いたひょうたんをつけて共鳴させる。針金を棒で叩くことによってリズムを作りあげる。ブラジルの北東部に多くみられるカポエィラの中心的な楽器。カポエィラと同様、アフリカより奴隷として連れて来られた人々が伝えた楽器として知られる。弦の張り加減とひょうたんの大きさによって音階を調整し、3本に分けられる。当グループではそれぞれの種類をグンガ、メジオ、ヴィオラと呼ぶ。
いつからカポエィラの中で使われ始めたのかは不確かであり、19世期終わり〜20世紀初頭にカポエィラに持ち込まれたとされる。ビリンバウという名前の語源はアフリカのバントゥ諸国語の言語キコンゴ・キブンドゥと言われる。
【パンデイロ:Pandeiro】
輪っかの形を木で作り、皮が張られる。皮を叩くことで、低音や高音を使い分けリズムを作る。
リムにはジルと呼ばれる円形の金具がついていて、カチャカチャという音を出す。サンバでもよく使われる、タンバリンに似た楽器。
【アゴゴ:Agogô】
高音が特徴の、カウベルのような鉄製の楽器。二つの鉄製の部分を交互に叩くことでリズムキープをする。アフロブラジル宗教カンドンブレにも使われる。
【ヘコヘコ:Reco-reco】
ギロのような楽器で、切れ目の入った竹を、小さな棒でギコギコと擦ることでリズムを作る。
【アタバキ:Atabaque】
背が高く、長細い木製の太鼓。コンゴに似た太鼓。牛の皮を使うことが多い。アゴゴ同様、カンドンブレの祭事の中心に使われるとても神聖な太鼓。形と大きさによって音階が変わり、低音から高音までを出すことができる。カンドンブレでは三台同時に演奏することにより、豊富なリズムを作り上げ、神々との交信に使われる。